「この関わり方で、本当に合っているのだろうか」
子育てをしていると、ふとそんな不安がよぎる瞬間があります。
私は、特別支援学校、小学校の担任、そして校長として、40年近く子どもたちと向き合ってきました。
学力が高い子も、つまずいている子も、不安を抱えた保護者の方も、本当にたくさん見てきました。
その中で、自己肯定感がなかなか育たない子どもたちには、
親の愛情ゆえに生まれてしまう「共通した誤解」があることに気づきました。
今日は、学校現場で見続けてきた事実と、私自身の原体験をもとに、
その「たった一つの誤解」についてお話しします。
自己肯定感が低い子の親に共通する「たった一つの誤解」
その誤解とは、
「もっと頑張らせれば、自信がつくはずだ」という考えです。
これは、親が怠けているからでも、愛情が足りないからでもありません。
むしろその逆で、「この子の将来のために」と必死に考えているからこそ生まれる思いです。
ただ、学校現場で長年見てきた限り、
自己肯定感が低い子ほど、すでに十分すぎるほど頑張っている
という現実があります。
頑張っても評価されない
頑張らないと価値がない気がする
そんな感覚が積み重なると、
子どもは「できない自分」を責めるようになります。
校長として現場で見てきた「自己肯定感が育つ瞬間」
自己肯定感が育つ瞬間は、
テストで良い点を取ったときや、表彰されたときだけではありません。
私が現場で何度も目にしてきたのは、こんな場面です。
- 自分で選んだ行動を尊重されたとき
- 失敗しても受け止めてもらえたとき
- 「いてくれていい」と存在を認められたとき
特別支援の現場でも、通常学級でも、これは共通していました。
実は、これは私自身の原体験でもあります。
私自身が「見てもらえた」経験
中学生の頃、私は仲の良かった友人たちと行動を共にしていました。
しかし次第に、掃除をさぼったり、授業中の態度が乱れたりする姿に、心の中でもやもやを感じるようになっていきました。
ある日、掃除当番の日に
「ちょっと待って。今日は当番だから、掃除してから行く」
と伝え、私は一人で掃除をしました。
掃除を終えて廊下に出ると、待っている人はいませんでした。
また、冬場の持久走の体育の時間、
「今日は自分のペースで、ちゃんと走ってみよう」
そう思い、速くはありませんが最後まで走りました。
すると、周囲から
「何、カッコつけているんだ」
そんな言葉を投げかけられ、次第に仲間と行動を共にすることはなくなっていきました。
正直に言えば、少し寂しさもありました。
しかし、ある日、体育の先生に
「ちょっと教官室に来い」
と呼ばれました。
「最近、変わったな。何かあったのか?」
その一言をかけてもらったとき、
自分の中の小さな決意を、見ていてくれた人がちゃんといた
そう感じました。
あのときの嬉しさと、背中を押された感覚は、今でも忘れられません。
家庭で今日からできる「関わり方の視点転換」
この経験や、学校現場での実践から、強く感じていることがあります。
自己肯定感は、「正しい行動」を教えることで育つのではありません。
家庭で意識してほしいのは、次の3つの視点です。
① 結果より「プロセス」に目を向ける
「できた・できない」より、
「どう考えたか」「どこまでやろうとしたか」を見ます。
② 正解より「選択」を尊重する
大人の正しさを押しつけるより、
「自分で選んだ」という経験を大切にします。
③ 評価より「共感」を先にする
助言や指導の前に、
「そう思ったんだね」「悔しかったね」と気持ちを受け止めます。
それでも不安になる親御さんへ
「これで本当にいいのだろうか」
そう不安になるのは、子どもを大切に思っている証拠です。
完璧な親はいません。
校長をしていた私自身も、親としては迷い続けてきました。
大切なのは、
間違えないことではなく、
立ち止まって考え直せることです。
その姿勢そのものが、
子どもにとっての安心になります。
今日お伝えしたかったこと
- 自己肯定感は「鍛えるもの」ではない
- 頑張らせる前に、見ていることを伝える
- 気づいた今日が、関わり直しのスタート
子育てに、唯一の正解はありません。
けれど、子どもが安心して自分を肯定できる方向は、確かにあります。
この文章が、
「このままでいいのだろうか」と悩む誰かの、
小さな支えになれば幸いです。

コメント