子どもが期待通りに成長しない時、あなたは「自分のせいだ」と一人で抱え込んでいませんか?
「教育は蓄積性と集団性によるもの」
これは、私が新任教師時代に、京都府立与謝の海養護学校(現在の与謝の海支援学校)の設立に関わられた青木嗣夫先生から教わった、忘れられない言葉です。当時の私は、子どもがなかなか思うように成長しないとき、「自分は教師に向いていないのではないか」と落ち込んだり、子どもがめざましい成長を見せたときには「自分の手柄だ」と浮かれてしまう、未熟な教師でした。
そんな私は、ある日青木先生のお話を聞いて、大きな衝撃と感動を受けました。
「その子が10歳ならば、君の責任は10分の1。君の手柄も10分の1だ。そう考えれば、必要以上に落ち込むことはないし、天狗になることもないんだ。」
この言葉は、私の教育人生の座右の銘となりました。そしてその後、校長という立場で多くの先生方と接する中でも、いつもお伝えしてきた言葉です。
「教育は蓄積性」:すべての関わりが未来の種となる
子どもたちの成長は、決して担任になった1年間だけで決まるものではありません。
保護者の愛情、幼稚園・保育園の先生方の導き、その子に関わったすべての教師や地域の人々からの関わりが、まるで土壌に撒かれた種のように、少しずつ積み重なり、やがて花を咲かせます。
教育は、決して急に実を結ぶものではありません。 毎日の小さな関わりが、まるで大木を育てるための水や光、そして栄養となって、子どもたちの心に少しずつ積み重なっていくのです。
担任として花開いた時、それは決してあなたの手柄だけではありません。その子が育ってきた時間、関わってきた人々の愛と努力が、その瞬間に結実したのです。その瞬間に立ち会うことができたことに感謝です。
反対に、うまくいかない時、それはあなただけの責任ではありません。(責任逃れではないですよ。必要以上に落ち込むことはないということです。)過去からの蓄積を、どうやって次のステップへつなげるかという、教育者としての挑戦の時なのです。
「教育は集団性」:一人じゃない、みんなで創る学びの場
この「蓄積性」の背景には、与謝の海養護学校の設立を支えた「集団性」の力が存在します。
当時の社会では、障害のある子どもたちは「就学猶予・免除」の対象とされ、教育を受ける権利すら十分に保障されていませんでした。
しかし、与謝の海養護学校は、そうした時代に、保護者、教職員、地域住民が一体となった学校づくり運動によって生まれました。当時の先生方は、子どもたちの教育権を守るため、「一人ではできないことも、みんなでなら実現できる」と信じ、地域を巻き込んだ学校づくり運動を起こしました。それは、今私たちが直面する多様な課題にも通じる、「協同」の原点です。
青木先生が教えてくださった「集団性」とは、まさにこの運動が体現したものです。教育は、教師一人で完結するものではなく、同僚、保護者、地域、そして子どもたち自身が力を合わせることで成り立つものなのです。
最後に
もし今、あなたが教育の現場で悩んでいたり、子どもとの関わりに自信を失いそうになっているなら、この言葉を思い出してください。
「その子の成長は、決してあなた一人だけの責任でも、手柄でもない。」
あなたの関わりは、きっとその子の人生を豊かにする「蓄積」の一つです。そして、あなたには共に子どもの成長を支える仲間が必ずいます。
教育は、一人じゃない。みんなで創り上げる、奇跡の積み重ねなのです。
コメント